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このまま穏やかに時が流れるはずもなかった

ついに1人になってしまった

配置転換の上で、会社に復帰して以来、毎日が緊張状態のようで、やはり22日の夜も動悸が気になってなかなか寝付けず、23日の深夜1時半ごろにようやく寝付いたのですが、2時間後の3時半に咳き込んで目が覚めてしまい、それきり眠ることができなくなってしまいました。しかし、どうせ会社に行っても仕事はほとんどなく、各所に引継ぎメールを送るだけでしたので、日中に眠くて集中できないとしても、大して問題にはならない状態でした。時間があるので、これまで書籍のネタ探しのために集めてあった記事を、やっと落ち着いて読める状態になり、なんとも皮肉なことになっていました。

それでも、23日の日も普通に編集局タイムで出社しました。その日はついに、書籍編集部には私だけが出社している状態になりました。カリスマさんは自ら選んで解雇されている状態ですし、子持ちママさんも代休と有休を使って、もう1日たりとも出社せずに、4月の締め日で自己都合退職するということで話がつきました。おっちょこちょいな人も、出てきたり休んだりを繰り返しながら、4月の頭にはフェイドアウトです。

本当に、この誰もいなくなった書籍編集部の席に私1人が残ったまま書店営業へ出かけていくなんて、現実味がないなぁ・・・・という思いにとらわれていました。同じシマに期間の小動物雑誌の編集長さんとアシスタントの女の子がいましたが、実は、そのアシスタントの女の子についても、会長が編集長さんに「解雇したい」と打診していたそうですが、編集長さんはここまで何も本人には言わず、彼女を守り続けていたのです。

対照的な2人

ただ、私の「編集局から営業局への異動」という衝撃的な辞令を見て、アシスタントの子が同じような目に合ってはいけないと思ったのかw、すぐに編集長さんからアシスタントの子に「あと3ヶ月経って夏の号が出たところで、この会社を会社都合で辞めて欲しい」と話したそうです。アシスタントの子も、書籍編集部がいなくなり、社内の雰囲気が悪くなったと感じていたそうで、「かえって辞めることになってよかった」と話していたということでした。彼女の場合は、解雇になるまではまだ3ヶ月もありますし、代休も、法定の有給休暇も全部取って辞めるということで、話がついたようです。さすがは姉御気質の編集長さんです。書籍編集部の上にいた、役立たずの編集局長とは訳が違います。

今回のことで、私たちの編集局長への株も相当下がりました。今回の解雇劇の発端となった、文法の乱れたわけの分からないメールを送りつけてきただけで、その後はまったく私たちのためには何もしてくれなかったどころか、「会長ってああいう人なんだよー」と擁護するようなことを言って、カリスマさんの手芸雑誌の編集請負の契約書を作りもせず、「この後どうしたらいいー?」と頼ってくるだけの、情けない人でした。この人も、仕事が遅いのに、いろいろと引き受けすぎているせいで、明らかに仕事が回っていないのでした。しかも、その状態が常だったので、周囲にとんでもなく迷惑をかけているということにも気がついていないのでしょう。

まったく予期していないところから始まった

どうやら打ち合わせ室では、会長と前田さんが書店営業のことで話をしているようです。私が「書店営業のOJTをお願いしたい」と言っていたので、もしかしたら、その相談かな?と考えていました。社内で誰かが打合せをしていたら、その情報をすぐにラインで流します。その傍ら、私のほうは引き続きメール返信をしたり、カリスマさんからラインで問い合わせのあった、問屋さんの担当者のメールアドレスを探したりしていました。

すると11時過ぎごろに、前田さんと打合せを終えた会長が、不機嫌そうな顔で私の席までやってきて、「ちょっと来て」と打ち合わせ室に呼び出されました。私は「書店営業の質問書が戻ってくるのかな」と思い、なんにせよ証拠は残しておかなくてはいけないと、iPhoneの録音をセットし、マイクを上にしてジャケットの腰ポケットに入れました。わざとゆっくり準備して、録音がきちんとできていることを確かめてから、先日もらった書店営業関連の資料とノートを持って立ち上がりました。

会長は「遅い!」と思ったらしく、販売部の内勤の女性をわざわざよこして、早く打ち合わせ室にくるように促してきました。以前の私なら小走りで行くところですが、もはや急ぐ必要はまったく感じません。わざとゆったり歩いて打ち合わせ室に入りました。

会長の手元には、二つ折りにされた紙がありました。私が席につくと、会長はその紙を広げて口火を切りました。

「あなた、A社にメール出したでしょ」といわれました。A社というのは、手芸関連の講座を手広く行なっている会社です。そこの部長さんは、私のメールに対して2度も温かいお返事をくださいました。

私はなにが問題なのかまだわからず、「ハイハイ、出しましたよ」と答えました。

このなんの予兆もない状態から、会長との30分間にわたる「最後のバトル」が始まっていったのでした。