理由書をもらうのがまずは第一関門

解雇通告で体調不良

2/20の口頭での解雇通告を受けてからの一週間は、精神的にも体調的にも不安定で、微熱が引いたと思っても、会社にいると寒気がして具合が悪くなり、早退して熱を測ると37.8度といった微熱が再び出ていて、寝込んだりしました。1日おきに眠れない日があったり、24日の金曜日は子どものアレルギーのことで予め休むつもりで有休をとったのですが、三連休明けの月曜日は会社に行くのにいろいろ考えてしまって、前日の日曜日の夜はやはり眠れずに、3時間ほどの睡眠しか取れなかったりしました。

とはいえ、このころになると、「明日からどうしよう」という不安よりも、「法定の有給休暇の申請を出して、会長が文句言ってきたらどうしよう。頭にきて怒鳴りつけたりしてしまいそうだわ」「私が突き飛ばしたら会長なんか吹っ飛んでいってしまうし、なによりも74歳のおじいさんなんだから、突き飛ばしたらまずいよね」などと考え、頭の中でいろいろな想定問答を繰り広げてしまい、眠れなくなるという感じでした(笑)

この会社に来て、体調不良で会社を休んだことは1度もなかったのですが、やはり「病は気から」というのか、気持が弱まっていると(一応w)、ただの風邪もなかなか治らないものです。

会社に来るのもあと2日?!

とはいえ、3/1から有休となると、週明けに会社に行くのは2/27,28の2日間だけです。私物はあらかた片付いてはいましたが、持ち帰るものはかなり多く、パソコン内のデータもDVDなどに焼いて、ハードディスクの中をほぼ空にしました。もちろんメールのバックアップも取って、持参したUSBメモリに入れて、パソコンのメールボックスも空にしました。「解雇なんだから引継ぎする気もない。これまで3年間継続してきた書籍も、来年にやるときは大変かもね~w うんと困ればいいわ!」という気持だったので、とにかく会社のパソコンは空にしてやりました(笑)

また、弟弁護士から知恵を授けられたカリスマさんが、「とにかく解雇理由書をもらわなければ」と、口頭での通告があった翌日には、会長に「理由書下さい」と言ってくれていたので、それをちゃんと受け取るのが当面の課題でした。私が寝込んでいる間に(実際は寝込めなかったですがw)しっかりと手順を踏んでくれていて、カリスマさんは本当にとても頼もしいです。

この「解雇理由書」というのをもらうことは、会社から解雇になった際にはとっても大事なものだそうで、会社はこれを請求されたら、拒むことはできません。そういうことに聡い経営者だったら、解雇通告した社員がこれを請求してきたら、「訴えられちゃうかも」とビビって、のらりくらりと交わそうとしたり、なかなか出してこなかったりすることもあるようです。出てこなければ、なんども請求書の書面を突きつけ、それでも出てこなければ、労基署に訴え出て行政指導してもらうことになるようです。

うちの会長の場合は、カリスマさん曰く「もう言ってきたか!」という感じで、とたんに機嫌が悪くなったそうですw 「今週末(口頭通告のあった週)か来週頭にはください」と言ってあったそうですが、週明けになっても出てこないままで、3/1から休みに入る私は「少なくともあと1回は、解雇理由書を取りに会社に来なくてはならないな」と思いました。

これがきっかけでラインを始める(笑)

それから、私はラインをやっていなかったのですが、メンバー4人のうち、3人はラインで連絡を取っているというので、今回のことは一堂に会して連絡を取った方がいいだろうと思い、私も週末にラインアプリをダウンロードして登録しました。月曜日には、おっちょこちょいな人に招待してもらってライングループに入れてもらい、遅まきながら私のライン生活が始まりましたw 「ラインて、メールとなにが違うの?メールだってグループメールできるよね」と思っていた私ですが、始めてみてなるほどと思ったのは、やはりラインの魅力はスタンプの豊富さ、面白さなんですね。「いや、そんなところじゃない」という意見もあるかもしれませんが、私はそう思いました(笑)あと、早速フジテレビのフィギュアスケートのラインもフォロー(?)しました。3月末には世界選手権がありますからね(ゝ∀・)

書籍編集部 最後のランチ会?!

私が3/1から有休消化に入って、そのままフェードアウトすると言っていたので、「じゃあ、書籍編集部の最後ってことでランチ会しますか!」となり、最終日の28日はメンバー4人で長めのランチを取りました。みんなそれぞれ解雇通告をショックに思っていました。

子持ちママの人は、子どもの保育園のために、とにかく失業保険を使わずになんとか退社日付を4月末~5月に伸ばしてもらう方向を模索していました。11年も勤めている子持ちママさんには、本来なら法定の有給休暇が40日もあります。不当解雇なのにこの有休を使うこともできず、3/20で切られてしまうというのは、どうにも納得がいかないのです。このことを考えると、やはり夜もあまり眠れず、ご飯もたくさん食べる気になれない様子でした。

おっちょこちょいな人も、おっちょこちょいだけれど気持ちがとても優しい人で、たいそう困りきっていました。口頭で通告された日の翌日には1人でワインを1本開けてしまったといいます。朝も、夜中の3時とかに目が覚めてしまい、「あれ?なんだっけ?あ、そうだ、私は解雇されちゃったんだ・・・・・・」と現実を確認して眠れなくなる始末。

カリスマさんだけはちょっと様子が違います。なんといっても弟が弁護士さんですから、「会社からカネを取れるだけとってやろう。次はどんな文書を会長に突きつければいいの?!」と息巻いていました。「次はどんなことをやれば会長をギャフンと言わせられるか、次々と畳み掛けたいから、常に策を練っている」とのことで、本当に「会長もカリスマさんだけは怒らせないほうがよかったのにね|||(゚ー゚;Aシラネーゾ」と思うほど怖いです(笑)

 

専門家に話を聞いてもらう

法定の有給休暇はちゃんと取る

労働局に行くと、あちこちに「あっせん」と書かれていますが、「なにをあっせんするんだろう」と私は呑気に眺めていました。それぐらい、私には労働争議など馴染みがなかったのです。それに、カリスマさんの弟が弁護士ということで、自分たちの解雇問題は、その弟さんか、または「解雇」で検索すれば山ほどヒットする労働問題を扱う弁護士さんにお願いするものと思っていました。

労働局の担当者Tさんは、まずは「法定の有給休暇は取ってください」といいました。「その上でもし会社が『会社の規定以上に取った有休分の賃金は払いません』と言ってきたら、それはすぐに労基署に訴え出てください」とのことでした。そこで、私には私物の片付けぐらいしか残務がないので、なる早で荷物を片付けて、チーフ会議(毎月1日にある会議で、チーフなので出ていた)のある3/1から強引に有休を取り始めようと決めました。なぜなら、そのチーフ会議で「書籍編集部の解散」を発表するだろう、と編集局長さんが言っていたからです。解雇になるのに、今さら書籍編集部の実績をチェックしても仕方がないですし、なんの悪いこともしていないのに、目の前で「書籍編集部は不採算事業なので廃止します」と言われても困ります。編集局長さんも「出なくていいんじゃない」というので、出ないことにしました。

社会保険に入ってもブラック

そして、Tさんから「その会社は社会保険とかちゃんとやっているの?」と聞かれ、「それがw!」とちょっと笑ってしまいました。もともと社保完でなかったことはもちろんですが、実は2014年1月から強制加入となった際に、保険料は社員と会社の折半となるわけですが、会社がこの折半分を負担すると、今までに比べて年間1500万円ほどの支出となり、その額すべてを会社が負担することはできないので、メールで「社員の給料から一律3%ずつ天引きします」という通達が来ていたのです。そのメールでは「1年間の限定措置」となっていたのですが、そのまま天引きは続き、すでに4年目に入りました。給料によりますが、だいたい毎月7千円から1万円の額をさらに会社の社保折半分のために引かれていたのです。この話にはTさんもビックリ!「それは違法でしょ。犯罪じゃないかな」とたいそう驚いていました。この社保の保険料のことについては、年金事務所に訴え出るようにとのことでした。まあとにかく、何かにつけて縦割りです。

じゃあ労働局はなにするの

今回の問題は弁護士にお願いするものと思っていた私ですが、ここにきてTさんから「労働局にはあっせんというものがあって」という説明を受けました。「あっせん」こそが労働局のメイン業務だったんですね・・・・。ネットで検索すると「労働関係調整法による労働争議の解決方法の一。労働委員会が指名した斡旋員が労使間を取りなして、争議の解決を図ること」と出てきます。要するに、弁護士などの資格をもつ斡旋員が、経営者と労働者を呼び出し、それぞれから交互に話を聞いて、労働に関する紛争をとりなしてくれるということのようです。たとえば、今回のような不当解雇に対して「金銭的補償を受けて解決したい」とあっせんを依頼すると、斡旋員が経営者に金銭の支払いをするよう説得してくれるということでした。ただ、強制力があまりないため、あっせんで実際に金銭が支払われる割合は、6割ほどということでした。このあっせんを試してダメだったら、そこで弁護士を頼む、という流れもあることもそこで知りました。弁護士に依頼した後では、あっせんを依頼することはできないということも付け加えて説明されました。

とりあえず、労働局に相談したことによって、「自分はやっぱり悪くないんだ」「補償金を求めることもできるんだ」ということがわかりましたし、なんとなく今後の流れというものも見えた気がして、なんだかその日はとてもホッとして、夜もよく眠ることができました。

まずはどこかに相談だ!

とりあえず片付けようということで

前日の睡眠が3時間しかなかったため、さすがに休んだ日の夜は普通に7時間は眠れました。私には途中になっている仕事がなかったので、とりあえずはデスク周りの私物やパソコンの中のデータなどを片付けようと思い、会社へ向かいました。まだ咳や鼻水がバンバン出ていたので、マスクをかけていきましたが、これは幸いでした。全然悲しくはないのですが、誰かになにか聞かれても答えるのが面倒だし、あまり表情を読み取られたくないという気持もあり、マスクをかけていると、その辺があいまいになると思ったからです。

でも、まだ他の部署の社員には知らされていないようでした。みんながことさら呑気にしているように見えます。なにごともなく平和に時間だけが過ぎていくので、私も粛々と片づけを進めました。しかし、解雇を告げられた書籍編集部の面々は、やはりどこかフワフワとして落ち着かないようでした。私以外のメンバーには、やりかかっていた企画があったので、まずは著者に現状を話して、このままこの出版社で著書を出すことにするのか、判断を求めなくてはいけません。午後には書籍編集部には誰もいなくなり、私も1日中片づけをしているのは飽きたので、合間合間に調べていた労働局というところへ「軽く相談に行ってみよう」と思い立ち、外出ということにして会社を出ました。

就業規則はないし、有給休暇の日数はめちゃくちゃ

労働局の労働相談コーナーは、都内にはあちこちにあるのですが、幸いにも会社から徒歩10分ほどのところにもありました。よく利用していた図書館と同じ建物の中です。何の予約もなく、いきなり労働相談コーナーのところへ行って呼び鈴を押し、出てきた相談員のおじさんに、ブースで話を聞いてもらうことになりました。

実はこのブラック出版社には、労基署に届け出られるようなきちんとした就業規則がなく、有給休暇も独自の基準でやっていて、週5のフルタイムで仕事をしていたにも関わらず、法定の有給休暇でみると、パートの週2勤務の基準と同じ日数しか認められていませんでした。つまり、半年勤めると3日だけ与えられて、あとは4日、5日、6日と増えていき、この後はどんなに長く勤めても8日どまり(汗)。ただ、みんな土曜日や日曜日にも仕事が入ることが多く、大抵代休を取りきるのに精一杯で、有給休暇が少なくて困る人などいなかったのです。

私の場合は、チーフだということと、家と会社を往復しているだけで3時間ぐらいロスしてしまうので、土日に仕事をやらなくてはならないことがあっても、家でやってしまっており、あまり休日出勤を申請することがありませんでした。そのため、子どもの学校行事などで休む場合は普通に有給休暇を使っていたので、上記の会社独自の有休の残日数で見ると、たったの6.5日しか残っていませんでした。しかし、週5勤務の法定の有休日数に照らし合わせてみると実は21.5日もあり、ブラック出版社で認められていたのはわずか1/3!もちろん、有給休暇の日数は会社が勝手に決めてよいものではなく、法律によって決められている日数は、会社は最低限認めなくてはなりません。そこで、法定の有休をすべて取っていいんですよね?ということを確認したかったのです。

とにかく寝られない・・・・

結局は資金繰りがうまくいっていない

会長からの口頭での解雇通告のあった日の夕方、慌てふためいたメールをしてきた編集局長さんが出先から戻ってくるというので、会社近くの喫茶店で話を聞くことになりました。といっても、編集局長さんも「昨日いきなり会長から電話がかかってきて、もしかして会長が倒れたのか?と思った」ということで、今回のことはまったくの寝耳に水だった様子。

書籍編集部解散の理由が、解雇を言い渡される前の週に提出させられた「今期の目標が気に入らなかった」とか言ったようですが、そんなのは全部言いがかりで、結局は資金繰りがかなり厳しい状態であるとのこと。去年の9月に買い取った手芸雑誌の採算が取れず、書籍の売上げも低迷していた。さらに、12月でケンカ別れした雇われ社長と連名にしていた融資の期限が来てしまい、延期をお願いしに行ったが、ケンカ別れした元社長が拒否したため、資金繰りが悪化したとのこと。なんとも行き当たりばったり・・・・。

しかし、だからといって何の前触れもなく、たった1ヶ月で社員を4人も解雇していい話ではない。編集局長さんも、髪に寝癖がついたままの憔悴しきった様子で、「こんなことにならないようにと、評価制度などを準備してきたのに」とか「本当に私の力不足で申し訳ない」とか、ただただ謝るばかりで、まあ話を聞いてもしょうがないだろうなとは思っていたのですが、ほんとにどうしようもない感じでした。

なんだか腹が立ってしまって

その日のうちに、ケチをつけられた「今期の目標」とか、実績をまとめた一覧表などのプリントアウトは粉々にして捨てました(データはあるw)。「ほんとうにバカバカしい!」「なんてバカバカしい!」「バッカじゃないの!!」と何度か声に出していってみたりもしましたが、腹立たしい気持がおさまらない。風邪の微熱を押して会社に行っていたので、翌日は「寝込みます」ということで病欠としてあったけれども、一応寝ようとベッドに入っても、目が冴えてしまってまったく眠れない。

ツイッターフィギュアスケートの情報を追って束の間の憂さを晴らしたり、みんなの日常を追ってクスリとしたり、いろいろ気晴らししてみるものの、やっぱり「明日からどうしようか」という懸念が消えません。

久々に転職サイトを覗いてみたりして、「正社員にこだわらなければ仕事は結構あるな」と自分の不安をなだめようとしたり、ホットミルクを飲んだり、インスタントのコーンスープを飲んだり、お腹に温かいものを入れて、いろいろと気を逸らそうとしてみましたが、結局は朝の6時過ぎまで眠れませんでした。

幸いなことに、子どもも次の日まではインフルエンザのために出席停止だったため、9時ごろまで3時間弱寝ることができましたが、風邪を治すために寝込むつもりが、日中もまったく横になる気が起こらず、自分の部屋の机周りを片付けたりして終わりました。

実はブラック企業に勤めていました(苦笑・・・)

そもそもその予兆はあった・・・・

4回目の年女を迎えるほどのいい年をして、ブラック企業に勤めていたなんて恥ずかしいですね……。私がいたのは、社員25名程度の小さな出版社(正しくはまだ籍がある)。実は入社する前から「ちょっとブラックかな?」とは思いつつも、自分のやりたい仕事をやろうと思ったら、待遇がこれぐらい落ちちゃうのは仕方ないことかな?と思っていました。

4年前にこのブラック出版社に転職した当時は、とにかく前の会社を辞めたくて(やりたくない仕事をやらされていてメンタルがかなり弱っていた)、そんな中で、自分の好きな分野での編集の仕事に採用してもらったことが本当に嬉しかったんです。当時はダンナが自営の配送業をやっていたために収入が不安定で、家のローン分しか負担できない状態。それ以外の食費やら光熱費やら、とにかく生活費全般を私が稼がなくてはならず、ブランクなく新しい会社に入ることが必須状件で、これらすべての条件に合致したのがこのブラック出版社だったのです。でももう、当時は本当~っにありがたいことだったのです。

「ちょっとブラックかな?」と思った理由は、募集要項に「黒字経営を続けている出版社」とありながら、「社保完」となっていなかったこと。当時勤めていた会社に「3月いっぱいで辞める」と伝えた後に、このブラック出版社に雇用契約の確認に行った際に「黒字経営を続けているのに、どうして社会保険が完備されていないのですか?」と創業者である社長に質問してみました。すると「私も今すぐにでも社会保険に入りたい。しかし、黒字経営といってもボーナスはビビたるものですし(実は基本給の0.5ヶ月だったwしかも入社から1年以上経ってから)、今は入れない状態なのです。入れるようになれば、すぐに入りたいと思います」と答えました。

この9ヵ月後、手入れ(?)が入り、会社は強制的に社保完となるのですが(笑)、実はそこにもいろいろありまして・・・・それはまた後日に。

そんな感じで「ちょっとブラック?でも編集が仕事として認められる会社で嬉しい」「ちょっとしんどい時もあるけれど、基本楽しい」って感じで、「1日でも早く、もっと売れる本を出したいな」と思いながら、でも実際は、いろいろなしがらみで「出さなくちゃいけない本」「出すことになっている本」ばかり担当していて、それらを日々こなしている感じでした。

なんだか嫌な予感のするメールが来て・・・・

そんななか、2月19日の日曜日に、すぐ上の編集局長さんから「私の力不足で、明日、会長から話がある」という、休日に似つかわしくない、文法の崩れた、慌てふためいたショートメールが届き、嫌な予感がしつつも翌日会社に行ってみると、「書籍編集部の打合せを○時から行ないたい」と、創業者の会長(実はこの間にいろいろなことがあり、創業者は社長→会長→会長兼社長となったのですが、最終的に会長と呼ばれていた)からメモが置いてあったのです。一応、私は書籍編集部のチーフってことで、月に1万円の手当てしかなかったけれど(セコいw)、書籍編集部4人のとりまとめをしていたのです。

果たして、小さな打ち合わせ室に集まってみると、重々しい雰囲気を作った(?!)会長が「書籍編集部を解散することになりました」と言い出したのです。そのときの言い草をここに書いてみると、「3/20で書籍編集部を解散し、その後はそれぞれの人員とは企画ごとの委託契約になる」「原価計算上、1冊分の編集費は○万円となっているので、皆さんにもその範囲でやってもらいたい」「編集費の支払いは本が発行された翌月末」「現在使用しているパソコンと机、コピー機などは使用してよい」「もちろん他の出版社の仕事を請けてもよい」「4月からは新しい関係で」「一度個々に立ち返り、売れる本の企画というものを見つめ直して欲しい」というような話・・・・オイオイオイオイちょっと待ちなさいよと思い、

社会保険はそれぞれに自分でやるようになるってことですよね?自営業者のように」と尋ねると、会長は「そうだ」といいます。「すると、それは会社都合の解雇ってことですよね?」と私が尋ねると、会長は一瞬「いや……」というようなリアクションをしましたが、私が「雇用保険の手続きとしてはそうなりますよね」とさらに言うと「まあ、そういうことになります」というような返事をしました。

この後はまあ、この人は一体なにをいっているんだろうと呆れるばかり。あと1ヶ月でいきなり解雇って「はあ?」って感じ。こちらにはなんの落ち度もないのに・・・・。とにかく「会社都合なら、雇用保険はすぐに出てくるか」ということだけが思い浮かび、ほんの少し安堵したのでした・・・・。

なにしろ解雇なんて初めてなもので・・・・

こっちから会社を辞めてやったことは数知れずだったのですが、解雇を言い渡されたのは初めてで、キョトンとしてました。そこで、突然の解雇を言い渡された同じ部署の4人で、混乱する頭を整理するために、外の喫茶店へ行って話をすることになりました。

カリスマさんは弟さんが労働問題も扱っている弁護士さんということで、かなり落ち着いていました。とにかく、弟さんに相談して、次の手を打つということでした。

2歳の女の子がいる子持ちママは、失業となると保育園を出されてしまうので、失業保険をもらうわけには行かないし、途中になっている企画や出すことになっている書籍を一番たくさん抱えていて、かなり困っていました。

私の1年後に入社してきたちょっと「おっちょこちょい」な人は、会社の名前をいろいろなところにアピールしながら積極的にいろんな交流会に出て、かなり一生懸命やってきていたので、とにかくショックだったようで、「この会社の名前で本を出していきたいけれど、あの条件ではちょっと」と迷っているようでした。

そんななか、実は私には引きずるものが何もなかったのです。2月20日付けである本の新装版を出した直後でしたし、やる予定だった書籍や年末から提案してきた企画がことごとく中止や様子見、不採用となっていました。一つだけ9月に発行という企画が通ったのですが、それじゃあ4~9月までの生活はどうするんだい?という状態……今からどれだけがんばっても、4月発行の本を出すことは不可能です。すぐに「ここで委託契約で仕事をするのはナンセンス」となりました。幸いにして4年前と違い、ダンナの仕事は順調です。とはいえ、不安が襲ってこないわけではないけれど・・・・

そんなわけで、ここから幾晩かの眠れない夜と、治らない風邪と、会社の荷物とデータの片付け、各公的機関への相談と立て続けにこなし、今さらながら私はラインを始めて(笑)、書籍編集部4人のグループラインでの情報共有が始まるのです……┐(´-`)┌